こんにちわ!兼業クリエイターのみっつです。
最近はゲーム機の歴史を勉強するのにハマってます。
今回はファミコン発売前後の歴史を調べてみたので、分かったことを共有したいと思います。
知れば知るほど、ファミコン発売までには色々あったんだな〜
って気持ちになりましたね(笑)
- ファミコン発売前には色んな試作機?があった。
- カセット型ゲーム機は他社のアイディアだった。
- 家でゲームをやる文化はパソコンが流行ったから。
- ファミコンにはアーケードとPCにない魅力があった。
私は生まれた頃からスーファミがあって、Nintendo64で育ってきました。
当たり前に存在してたゲーム機達ですが、その誕生までには先人たちの作った”道”があったわけなんですね〜
まだ全部を知ったわけではないですが、知れば知るほど、ゲームの歴史は面白いです!!
この記事を読んで、少しでもゲームの歴史に興味を頂いてくれたら幸いです。
ファミコン発売前後をざっくりと振り返る
まずはざっくりと、ファミコンの発売前後を振り返ってみましょう。
1977年:カラーテレビゲーム6、カラーテレビゲーム15を発売
任天堂から初のテレビゲームが発売される。
その名も、『カラーテレビゲーム6』、『カラーテレビゲーム15』。
価格は以下の通り。
- カラーテレビゲーム6:9,800円
- カラーテレビゲーム15:15,000円
この時はまだテレビゲームの時代ではなく、ゲームセンターでやるアーケードゲームの方が盛んだった。
インベーダータイプ、ブロック崩しタイプの家庭用ゲーム機を出してたが、アーケードに取って代わることはなかった。
1980年:コンピュータTVゲームで大スベリ
任天堂は『コンピュータTVゲーム』というゲーム機を発売するも、全く売れずに大スベリ。
一回、TVゲーム機から遠ざかる。
その代わり電子ゲーム(いまでいうポケットゲーム)が流行る。
その時作られたのが、ゲーム&ウォッチ。
だが、そのブームも長続きせず、アーケードが進化するに従って売上も低迷。
1982年の末には、ブームは去っていた。
1981年:アーケードでドンキーコングが稼働
ファミコンが作られるにあたり性能のベンチマークになったのは、自社のアーケードタイトルである、ドンキーコング。
しかもそれを1万円以下の価格で出すことを目指した。
そのためには、ハードを構成する部品数を少量にする必要がある。
そこで、任天堂は1981年当初、半導体事業に乗り出したばかりのリコーと共同開発に挑む。
1983年:7月15日。ファミリーコンピューターが発売
そして満を持して、ファミリーコンピューター(通称:ファミコン)が発売される。
発売当初は本体の発火事故があり、順調な滑り出し、とは行かなかったが、売上は45万台と好調。
翌年の1984年には165万台を出荷し、2年で約200万台の出荷台数を記録。
更に翌年の1985年に『スーパーマリオブラザーズ』が発売。
この年の出荷台数は374万台を記録。
当時のアンケートでは、小学生の2人に1人がファミコンを持ってたらしいですよ(笑)
高くて流行らなかった家庭用ゲーム機
家庭用ゲーム機は、存在こそありはしたものの、あまり流行らなかった。
■当時の家庭用ゲーム機が流行らなかった理由
- 理由①:ゲーム機の値段が高い。
- 理由②:遊べるゲームが少ない。
- 理由③:TVの前でしか遊べない。
以上のような理由から、アーケードゲームの代わりになることはなかったらしいです。
当時のテレビゲームは、ハードとソフトが一体となったものが主流でした。
例えば上で紹介した『カラーテレビゲーム6』なら、バレーボールやテニス、ホッケーとかしか出来なかったそうです。
他のゲームをやろうとしたら、新たに別のハードを買うって…
そりゃ流行りませんよね(笑)
任天堂が出したハードウェア実装型ゲーム機
- 1977年:カラーテレビゲーム6・・・9,800円
- 1977年:カラーテレビゲーム15・・・15,000円
- 1978年:レーシング112・・・18,000円
- 1979年:ブロック崩し・・・13,500円
- 1980年:コンピュータTVゲーム・・・48,000円
遊べるゲームの数が最も多いのは、意外にも初期に発売した、『カラーテレビゲーム15』の15種類。
それに反して、一番後に出た『コンピュータTVゲーム』は、まさかのオセロゲームが1種類だけだったらしいです(笑)
しかも値段が4万8,000円ってのは中々暴挙に出てますね〜
プレステ5くらいしますやん。
こういう流れもあって、家庭用ゲーム機はあまり流行らず、代わりに『ゲーム&ウォッチ』のようなポケットゲームが流行ったそうです。
【ファミコンの起源?】カセット型ゲーム機の登場
上でも書いたように、カセット型ゲーム機は価格が高いといった理由から流行らなかった。
しかし、1981年にエポック社から出た『カセットビジョン』がゲーム性、価格、両方のバランスを取ったゲームとしてヒット。
販売台数は45万台を記録。
当時のカセット型ゲーム機としては、大成功?だったらしいです。
■当時発売されたカセット型ゲーム機
- 1978年:TV-JACK アドオン500(バンダイ)・・・19,800円
- 1978年:ビジコン(東芝)・・・54,800円
- 1979年:スーパービジョン8000(バンダイ)・・・59,800円
- 1981年:カセットビジョン(エポック社)・・・13,500円
- 1982年:オデッセイ2(北米フィリップス)・・・49,800円
- 1983年:アルカディア(バンダイ)・・・19,800円
- 1983年:ぴゅう太Jr(トミー)・・・19,800円
- 1983年:PV-1000(カシオ計算機)・・・14,800円
- 1983年:SG-1000(セガ)・・・15,000円
- 1983年:ファミリーコンピューター(任天堂)・・・14,800円
ファミコンが発売されたのが1983年7月15日だから、
このカセットビジョンが当たったことで、カセット型ゲーム機が流行りだしたんじゃないかな?
って推測できますね。
カセットビジョンの代表作【木こりの与作】
ちなみに、カセットビジョンの代表作を調べたら、与作ってゲームが出てきました。
制作は餓狼伝説とかサムライスピリッツとかを作ってる、あのSNKらしいです。
アーケード版で出した『与作』ってゲームを、カセットビジョンに移植したものらしいですね。
【現代の原型】モニターの前でゲームをやる文化が確立してくる
モニターの前でゲームをやる
って生活様式は確立されつつも、まだアーケードに取って代われる雰囲気ではなかった。
そこで流行ったのが、ゲーム用パソコンというパソコン。
当時はパソコンには3つのジャンルがあって、
仕事用と趣味用、そして、ゲーム用
この3つがあった。
用途別で分けた場合のパソコン3タイプ【仕事・趣味・ゲーム】
■仕事用の16ビットパソコン。
CPUに特化した、ゴリゴリの計算マシーン。 そのため描画には弱く、ゲーム用としては使われなかった。
■趣味用の8ビットパソコン。
上で紹介した16ビットパソコンよりは安いが、専用のモニターとデータレコーダー(いまでいう、外付けHDD的な?)やつが必要。
それらをフルセットで買うと、大卒初任給の3倍くらいの値段がしたらしい。 今の価値で換算すると、70万くらいしたってことになるから、相当お高かったのがわかりますね。
■ゲーム用の8ビットパソコン。
上の趣味用パソコンは専用のモニターが必要だったが、このタイプのパソコンは、
TVをモニター代わりに使えるように設計し、
PC本体にもカセットを入れる場所を作った。
このゲーム用パソコンの登場により、パソコンゲームという市場が出来上がった。
■代表的なゲーム用パソコン
- 1981年:VIC-1001(コモドールジャパン)・・・69,800円
- 1982年:ぴゅう太(トミー)・・・59,800円
- 1982年:コモドール64(コモドールジャパン)・・・99,800円
- 1982年:M5(ソード/タカラ)・・・59,800円
- 1983年:SC-3000(セガ)・・・29,800円
- 1983年:RX-78 GUNDAM(バンダイ)・・・59,800円
- 1983年:PV-2000(カシオ計算機)・・・29,800円
- MSX規格
RPGゲームが流行ったゲーム用パソコン
当時のゲーム用パソコンはあまり高性能じゃなく、格闘ゲームのようなで絵が何枚も書き換わるような処理は苦手だった。
その代わりに流行ったのが、RPGゲーム。
RPGは1枚の絵にテキストを載せるだけでゲームが成立するため、格闘ゲームよりも容量が軽く作れた。
そういった背景もあって、
- アーケードは格闘ゲームやアクションゲーム
- PCゲームはRPGやシュミレーション
このように、得意ジャンルが明確に分かれてた。
【ファミコンが流行った理由】アーケードやPCの中間だったから
- アーケードゲームのように外へ出なくて良い
- ゲーム用パソコンほど高価じゃない。
ファミコンが流行った理由をまとめると、こんな感じになりますかね。
アーケードゲームの不便さ、ゲーム用パソコンの手の出しにくさ…
その中間に出てきたのがファミコンだったってわけですね〜
まとめ:ファミコンの歴史はゲームの歴史
- ファミコン発売前には色んな試作機?があった。
- カセット型ゲーム機は他社のアイディアだった。
- 家でゲームをやる文化はパソコンが流行ったから。
- ファミコンにはアーケードとPCにない魅力があった。
ファミコンが流行った理由をまとめると、こんな感じですかね。
ファミコンがあったからこそ、今のゲーム文化がある。
だけどファミコンの存在だけが重要だったか、っていうとそうでもない。
『カラーテレビゲーム6』のような前身があったから家庭用ゲーム機があった。
ファミコンの前にカセットビジョンがあったから、カセット型のゲーム機が生まれた。
ファミコンより高かったゲーム用のパソコンがあったから、安価なゲーム機に需要があった。
色んな偶然が重なって、”今”がある。
少しでも何かがずれてたら、結果は変わったのかも知れないですね。
いや〜〜〜ゲームの歴史。
面白いです!!!!
これからもまだまだ調査していきますよ〜〜
次はもっとファミコンについて深堀りしたいですね〜
ではまた!!